心って一体なんでしょうか?
「おなかがすいた」とか「あっ!痛い」とか「あー美しいなあ」とか、もろもろ感じたり、考えたりしている よりどころの場ですね。
赤ちゃんには本能的な感覚だけの場でしょうが、成長するにつれて感情の場となり、思考の場となっていきます。そしてそれらの感情や思考は、すべてことばに置き換えています。
言い換えると心とはことばそのものと言えるんじゃないでしょうか。
人はことばで傷つき、ことばで悦び、ことばで行きたい所へ行く。まるでことばの海の中を流されて生きているって感じさえします。

つまり、
私たちはことばという目には見えない環境の中で生きています。家族、この環境だってことばの繋がりの上に成り立っているんじゃないでしょうか。
先日も息子が父を殺すという事件がありました。これも不変不動の父子の関係が存在するのではなくて、培われてきたことばのやり取りの環境のうえに変化する家族の存在があったからですね。
ことばこそ私たちの心であり、環境であると言えるんじゃないでしょうか。
私たちはもっともっとことばの働き、ことばの力に目を向ける必要がありますね。
ことばが心をつくり、ことばが環境をつくる。
私たちは目に見えるものには敏感に反応し、目に見えないものはないがしろにする傾向を持っています。
実は人の幸福、不幸を創り出す人生のカラクリがここに隠されているような気がします。
幸福を求めて目に見える現われ(お金とか、学歴とか、容姿など)に一生懸命になり、人生を左右する本当の「原因」を放っておく。私もそうでした。
人生を左右する本当の「原因」、それが心であり、ことばではないでしょうか。
私たちの心は知らず知らずのうちに『
ことばのひびき』によって影響を受けています。
日本はことばの幸わう国と言われている位ことばの響きが大切にされています。ことばに命があると言われている位です。これを言霊(ことだま)といいます。
『う』ということばのひびきを例にとってみます。私たちが重いものを持ち上げるときに出すことばは『うーん』と言いますね。女の人が赤ちゃんを産むときにも『うーん』と言って力みます。赤ちゃんにウンチをさせるときにもこのことばを使いますね。このように『う』ということばは内なる力を引き出すひびきを持っています。

また騒々しい時には『しー』と言いますし、赤ちゃんにおしっこをさせるときも『しー』と言っています。
このように『し』ということばのひびきは心をしずめる力を持っています。ことばを知らない赤ちゃんが使われたことばに反応をしているのをみても、ことばのひびきが私たちの心に影響を与えているのがよくわかります。
「
優しい言葉は優しい心を生み、荒々しい言葉は荒々しい心を生む」と言われるゆえんです。
こうして考えますと常日頃使っている言葉、特に繰り返し使っている言葉は私たちの心に作用し私たちの環境にどれだけ影響を与えているか計り知れないように思います。
今いる自分の環境は、今まで自分が発してきた言葉の結果であると言っても言い過ぎではないかも知れません。
「自分はダメだ。自分はダメだ。」と繰り返し言っている人が大成功を収めるとは到底思えません。私たちは『
言葉は創造力を持っている』ことをよく理解し、私のような年齢になってから知るのではなく、幼児の頃にしっかり学ばせる必要があると思います。
『言葉の創造力』は環境だけではなく、注意深く観ていますと自分の身体にも密接に影響を与えているのがよくわかります。
今の時代、医学的根拠もなく言葉(心)と病気の現れ方を言うのははばかれますが、私の体験からその人の常日頃の言葉、思いはその人の健康状態に深く関わっていることがよくわかります。
一般的にも言われていますように明るい言葉は健康で明るい環境を創りますし、底に秘めた怒りの感情は破壊を創り出します。みんな言葉と思いです。私の年齢で言葉、思いを修正するのは大変です。是非若い人に理解いただきたい、そう願っています。
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 | レッスン 3 | マーデン博士の話 |
暗い顔と暗い心は、自分を取り巻く環境を悪化させる力を持っていると言われます。
自分が幸せで悦びの人生を過ごすには陽気な明るい心が大切なことは言うまでもありませんが、何かを成しとげるのにも
陽気と明るさがとても大きな要素だと言われています。それだけではありません。心が身体さえも支配しています。
人の心のありようは、私たちが思っているよりはるかに大切で重要ではないでしょうか。
マーデン博士の本にも、次のような話が載っています。
米国アラバマ州のある肺結核患者の農夫が、ある日、畑へ出て作業をしている時に多量の喀血をして倒れたそうです。その農夫を診た医者は、あまりの喀血に

「あなたはもう助からない」と告げたそうです。農夫は「まだ死ぬのは早い」と思ったのですが、しかし起き上がる力もなく唯じっと寝ていました。そのうちにやっと物にもたれて座ることができるようになりました。その農夫はこの時はじめて気がついたそうです。
「もう自分は世の中の全ての物にお別れする時が近づいたのだ。色々の物のお世話になって私は今まで生きてきた。しかし自分はそれらの物に一度も礼を言ったことがない。いつも自分はすべての物にシカメ面ばかりを見せて来た。これから何分間生きるかは知らないが、
その間じゅう私は、すべてのものに感謝して微笑み掛けよう。」
こう決心して、天井にも、机にも、敷物にも、本にも、そのあたりに見えている全てのものに間断なく心で「ありがとう、ありがとう」と感謝して微笑みかけたそうです。
間もなく病人は見違えるように元気になり、
前よりも一層健康で愉快な男になってきた。・・・とマーデン博士は書いています。
このような例は枚挙のいとまがない位聞きますね。最近の記事では、「ありがとう」と書いた紙と「バカヤロウ」と書いた紙をそれぞれ同じ水の入ったビンに張って、冷蔵庫に入れ結晶の状態を調べたら
あきらかに出来具合が違っていたということもありました。
心のほんとうのメカニズムが科学的に解き明かされるのはこれからだと思います。でも昔から人々はその英知で心の機能を正しくつかんでいました。「笑う門には福来る」「類は類を呼ぶ」「与えよ、さらば与えられん」・・・これらは心のメカニズムの一端を表しています。
心とことばそして表情・・ここにこそ全てがある。ともに学んでいきましょう。
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 | レッスン 4 | 現れの奥の心をみる |
私たちは日常の生活を営んでいく中で、極めて大切なことにあまり注意を払わないで生きていっているように思えます。
生きていますと様々な出来事に出会います。喜びに満ちた出来事、悲しみな出来事、腹立たしい出来事など様々です。そしてその出来事に翻弄されて精一杯を生きていきます。
その起こってきた出来事の深い分け(理由)を考えてみることもなく、ただ流されていく。
実は、人生は偶然ではなく、すべて法則にもとずいた必然の結果であると言われています。
その法則は『原因 結果の法則』です。あるいは『心の法則』とも言われています。その法則を具体的に考えてみましょう。
その法則は眼には見えません。また科学的に証明できる分野でもありません。実証も出来ません。ただ人間の英知で、直感的に理解する以外方法はありません。
一つの出来事を想定してみましょう。

嫁と姑との間の問題です。姑は食事を制限された病気とします。お嫁さんは普段からその姑さんの食事づくり
に一生懸命頑張っています。健康な家族ばかりでしたら必要のない苦労です。
ある時そのお姑さんが骨折したとします。その骨折は偶然でしょうか?
最初に(
起こってきた出来事の深いわけを考えてみる)と言ったのはこういう時です。普通でしたら『まあ、大変だったわね』で済ませるところですが、ここでこの骨折が起こったわけを考えてみるのです。
私たちが生きているこの世界は、ことば(心)の表出する世界ですから
ことばがすべての基です。骨折は骨を折るということですから、骨折した人は自分のことで誰かに骨を折らせていると考えられるのです。
誰かに骨を折らせている人はみな骨折するかというとそうではありません。人に厄介をかけているということを理解していて、心の中やことばで感謝している人には、それが基での骨折は起こらないと思います。
気づかせるために起こるのです。
誰が起こさせるかというと、神様ではありません。自分です。自分自身の奥深くの良心が引き起こすのです。これが自己処罰です。
えらそうにすみません。こうした研究の第一人者であるアメリカの精神医学者カール・メニンジャー博士の文献を参照してください。
この骨折がすみやかに治る人といつまでたってもグジグジと治らない人といます。その違いもその人の心の持ち方次第だと考えられませんか。自分の災難ばかりをみてグジグジばかり言っている人がなかなか治らないと考えてみたらどうでしょう。これが
『心の法則』あるいは
『原因 結果の法則』です。イギリスの文筆家ジェームス・アレンの文献を参照してください。
自分をとりまく環境、これは決して偶然ではありません。
《現れの奥の心》を観ることで私たちはいっそう高められると信じます。
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 | レッスン 5 | 出来事の『本質』を観る |
人生には様々な出来事が起こってきます。快適で誇らしげな出来事もあります。そうではなくて時には人にはあまり知られたくないことも起こります。

こうした不快で心に重くのしかかる出来事が起こった時に大切なのは、いつまでもその出来事に心を振り回されないで、なるべく早く自分の心をその現象の外部へ置くようにすべきなのです。
出来事という現れの奥には必ず『価値』が存在します。自分に間違いがあるから、自分にとって良くない環境が現れて来るのですから、心を『出来事の本質』の方へ置いて現れた環境を観ますと、自分の心の歪みがよく見えます。自分の生き方の不誠実さとか未熟さ、そして愛の足りなさなど。
こうした自分の心の歪みに気がつく、これこそ大切な『価値』です。自分の心の歪みは、自分にとって不愉快な出来事やつらい出来事の中に存在します。
こうした出来事が起こったときに「これは何を示しているのだろうか」「この出来事は私に何を教えようとしているのだろうか」「この出来事から私は何を学ぶのだろうか」というとらえ方に心を移すべきです。
この現れの奥にある『価値』は大きな愛です。その人に進歩向上を促す愛であり、生かし合いの愛です。
見えてきます。自分の学ぶべきことが観えてきます。そうしますとつらく嫌な出来事が、価値をもたらす存在になります。
またつらく困難な出来事は、人生の節目でもあります。竹の芽は節目から出るように、人生の芽はつらく困難の中から出るように思えます。
その芽を出すためには、出来事に心を振り回されないで、その本質を観るという心のあり方がとても大切と言えます。
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