 | レッスン 16 | 変わることの重要性 |

私たちにとって何が一番大切でしょうか。人によってはお金や肩書き、学歴を一番と思うでしょう。それはそれでその生き方を経験するのも悪くはないでしょう。 生命のおおもとに立ち返って生きるというのを見てみますと、日々新たになることがその根本であることがわかります。植物は一日として同じではなく、常に成長し変化していきます。この社会もそうです。私たちが生きていく上で大切なことの根本は、この日々新たになることではないでしょうか。 会社という組織を例にとってみましても、会社を始めた当時は社員も皆新鮮な気持ちで溌剌として働いていたのに、歳月とともに惰性的になり、ただ機械的に働くようになるとその会社は衰えていきます。 何事でも生き生きとした感じは新鮮さにあります。植物も若葉の頃は何とも言えぬ新鮮さを漂わせます。その新鮮さは日々同じではなく、常に変っていくことから生じてきます。 私たちの人生に時々さまざまな滞りが起きます。病気とか行きづまりの状況などです。こうしたことは私たちに変化を要求します。自分で心の持ち方なり考え方なり行動なりを変えないと状況を変えることは出来ません。 世界は日々新しく変わっています。朝、目を覚ませば、昨日と同じ世界ではありません。 自分が変わると言うことは今日は昨日の自分に何か新しいものが加わることです。その積み重ねが人生に結果をもたらし充実感を生んでいきます。新鮮な自分に変えていく、これが自分を磨くことであり、そしてこのことこそ人生で最も重要なことではないでしょうか。
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 | レッスン 17 | どこを磨くのか |

人はみんな立派になりたいと思っています。何のために立派になりたいのでしょうか。立派になってお金を得て、いい家に住んで快適な生活をするためでしょうか。では既に金持ちになって、いい家に住んで、快適な生活をしている人はもうこれ以上立派になりたいと思ってはいないのでしょうか。そんなことないですよね。なかには全財産を投げ出して社会貢献する人だっています。人はどこどこまでも立派になりたいのです。それは自分の心の奥深くからそうしたい欲求が突き上げてくるからです。 自分が少しでも立派なことをするとうれしくなりますし、反対に悪いことをすると苦しく惨めな気持になります。これは善きこと、立派なことをするのが人間の本性だからです。人生を立派に生きて来た人と、ただ惰性で生きてきた人、あるいは自分勝手な生き方をしてきた人とは人生の充実感、達成感が違うのではないでしょうか。 立派になるというのは形ではありません。自分の人格や能力が磨かれることが立派になることだと言えるのではないでしょうか。目に見える外の世界の立派さを追いかけている頃は、ひとつも人生の悦びや生きがいが感じられないものです。 ほんとうの立派な人たちは、卑しくつまらなく見えるような仕事を喜んでして、自分の心を磨かれています。自分を磨くとは真性の自分を引き出してくる、そこにあると思います。
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 | レッスン 18 | 心をむしばむ不満 |

人生において 心の焦点を合わせたものは拡大されていきます。人間関係においても、嫌な人は嫌な面ばかりが拡大されて、実像とは異なったイメージが心を占めていきます。心の焦点が嫌な面ばかりに当てられているからです。これは人生上のネガティブな面、ポジティブな面の全てに当てはまります。 私たちが幸福に焦点を合わせて周りを見ますと幸福が心に拡がっていきます。母親に抱っこされた幼子の無邪気な笑い声、四季折々に見せる自然の美しさ、山の頂上に登り立った爽快感や景色、目的を成し遂げた悦び、気の合う人たちとの語りや食事等々私たちの周りには多くの幸せが満ちています。 しかし、多くの人がこのような悦びと幸福感を味わってはいません。それはこうした幸せに心の目を向けていないからです。 心の焦点がお金や学歴や社会的地位といった物質的欲望や見栄といった面に向けられているからです。これらは幸せになるための一手段であって、目的ではありません。これらは比較の世界ですから、どこまでいっても不満がつきまといます。幸福を見当違いの面に求めますと、私たちの心に虚しさや不満が拡がっていきます。貪欲さと不満は表裏一体です。 貪欲さに心の焦点を合わせていますと、ますます不満が心をむしばんでいきます。心の焦点を内面に向け変える必要があります。次第に心が健全な方向に立ち返り、幸せは物質的なものを超えたところにあると気がつくでしょう。
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 | レッスン 19 | 親切な人の生き方 |

私たちはみな自分を磨いて、親切な人になりたいと願っています。では親切な人の生き方ってどんな生き方なのでしょうか。 私たちは困っている人に、何かをあげることが一番の親切と思い勝ちです。ユニセフなどの慈善団体に多額の寄付をすることが最高の親切な生き方と思っていないでしょうか。もしそうですと、私は何にも持っていないから親切ができないということになります。しかし、こうした考えは物質的な考えにとらわれすぎています。 親切を物質的にとらえますと、有る者と無い者という差別感が生じ、そこには本当の親切とは別の要素が入り込みかねません。自分の優越感を満たすための自己満足としての親切が生じたりします。かといって物質的な親切を否定するのではありません。社会的にはこれも無くてはならない親切行為です。緊急に何かを必要としている人には、物質的な援助はとても大切な行いです。 本当の親切とはどんな親切でしょうか。 それは人に接する時、その人を尊ぶということではないでしょうか。人に対して「何かをしてあげる」という心で親切をしても、何かをされた人は心から喜べるでしょうか。相手を見下さず、その人に卑下感を抱かせない接し方こそ、本当の親切と言えるのではないかと思います。 何はなくても、やさしい微笑を投げかける、気持が沈み込んでいる人に、元気が出せるような言葉を投げかける、これが本当の親切ではないでしょうか。私たちの親切は言葉によって実行することができます。 親切な人の生き方とは、人の目に見える姿や立場にとらわれないで、その人の命そのものの尊厳を見つめられるように、自分磨きをしている人だと思うのです。
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