
私は今から思えばずいぶんと下手な生き方をしてきたなと思えるのです。
人生は時間ですから、できるだけその時間を無駄にしないで生きてきたら、それだけもっと何かを成し得たでしょうし、もっと充実した人生であったろうと思います。

大いに楽しい時間を過ごすのもいいですし、楽しいおしゃべりの時間を持つのもいいでしょう。ただ無駄に時間を過ごしたのが悔やまれます。
この時間は目には見えないだけに、とても大切なものだということがわかりにくく、粗末にしてしまいがちになります。
一度失った時間はもう二度とやっては来ないわけです。
この時間の流れの中に私たちは生きているのですが、人生にとって大切な意味を持つ「時」があります。これを別の言い方でいえば「チャンス」とも言います。
「チャンス」というのは、一般的に使われている意味だけではなしに、
自分のためになる布石の機会をも含めています。
この「時」はその時の「今」しかないわけです。その時の「今」はもう二度と来ません。「今は止めてこの次の機会にしよう」。私なども何度こんな生き方をして来たことでしょう。これこそ人生の大きな損失でした。失ったものは目には見えませんけど、
自分の伸びる芽を摘み取っていたことに違いはありません。
こうしたその時の「今」を生かして来た人が成功者であり、大きく自己実現を果たした人たちであるわけです。人生を巧みに生きてきた人たちです。
人生を巧みに生きるとは「今」を生きることではないでしょうか。
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人が不幸に陥っていくのには様々な原因があると思います。その内の誰でもが不幸に陥りやすい生き方、考え方を考察してみます。
私たちが生きている世界は、大きく分けて二つの世界があると言えます。内面世界と外面世界。目に見える世界と目には見えない世界です。
目に見えるものの中で私たちが最も関心を持つのは、お金、学歴、地位、名誉、家、車、宝石、ブランド品、容姿などではないでしょうか。
いっぽう目に見えないものの中で私たちが最も関心を持つのは心とか愛、勇気、知恵、知識、美しさ醜さ、快不快、善悪などです。
目に見える世界の大きな特徴は人と比較が出来るということです。そして目に見えない世界の大きな特徴はみんなから隠しやすいということにあります。
実はここが人生の重要なキーポイントなのではと思います。

人は本能的に人から認められたいと思っていますから、どうしても目に見える世界に関心がいきます。
お金や社会的地位などがあると、人から一見成功している人のように思われ羨望を集めます。そのため世のお父さんお母さん方は子どもの幸せを願い、わが子には高い学歴を求めます。どこどこの学校へ入学した、なになに大学出だ、なになに会社に就職したなどということに一生懸命になります。
目に見える形の幸せを手に入れたいものですから、常に人との比較の世界に住み、人の評価を気にします。そして「お宅の子どもさん○○学校へお入りになったんですってね」とまわりの羨望を集めると、もうわが世の春とばかりに有頂天になります。
でも比較の世界は、上には上がいますからいつも心が休まりません。
何かにいつも追いたてられているような人生になります。わが子が自分の思うようになってくれないとイライラし、あせり、子どもをせかします。子どもの幸福を願いながら、実際には逆のことをしていることにさえ気づいていないのです。
気づきましょう。お金や学歴などといった比較の世界は目的ではないことに。それらはあくまでも幸せになるためのひとつの手段に過ぎないことに。それを手に入れたからとてイコール幸せではないことに。
この世界は様々に表現できる世界ですから、自分がほんとうにやってみたいことをやり遂げることこそほんとうの幸せではないでしょうか。
今日、11月20日東京国際女子マラソンで高橋尚子さんが今しがた優勝しました。今高橋さんは幸せの絶頂でしょう。でもそれは優勝という名誉で幸せではなくて、自分の目的を達成した悦びが幸せ感となっていると思います。
心から湧きあがる悦び、充実感、達成感そして自分の存在が人の役に立っている安堵感などほんとうの幸せは、人との比較を超えた内面世界にこそあるのではないでしょうか。
目に見える世界に心がひっかかりますと、ほんとうに大切なものが見えなくなり、そして体面と見栄のはびこる比較の世界から抜け出せなくなります。
ここに幸せを求めて幸せが逃げていく重要な鍵があるような気がします。
大切なのは人から羨望を集める生き方よりも、自分で自分に納得できる生き方を選ぶことではないでしょうか。
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大切な生き方の一つに、自分との対話があります。自分との対話とは、自分の行いや思い、考えに思いを巡らせ、自問自答することを言います。中には、今までの自分の人生を振り返って反省をするなど一度もないという人もいます。
確かに過去に捉われ過ぎるのはよくありませんが、自分が進歩し、向上するためには振り返る行為は欠かせません。
現在の自分なり、環境なりは過去の結果なのですから、過去を精査することが次の段階への前向きな導きにもなるわけです。
私たちの人生は過去の出来事からくる思いに強く影響を受けています。心の傷などはいまだに私たちの行動を支配します。その心の傷の支配から解放されるためには、それが自分にどう影響しているのかに気がつかなければなりません。
そのために自分の内面に意識を向け、自分と対話をすることが必要です。
自分と対話をするというのは、客観的に自分の心を見つめ、表に現われていない意識や隠されている本心をとらえるということです。これが生き方を新たにしていく道です。
また過去の心の働きや行いを見つめることだけではなしに、人生や生き方を考え、より深い世界へ入っていくためにも自分との対話が必要です。
自分が考え思い、意識している段階を次第々に深めて、より高い意識の層へ入って行かなければなりません。これこそが人の進歩向上にとって不可欠です。
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私たちの生き方を方向づけている働きには二つのパターンがあります。一つは私たちをより深い意識へ導いていこうとする
目覚めの働き、そしてもう一つは従来の生き方を繰り返そうとする
惰性の働きです。この二つの力は一生を通じて作用し続け、私たちの生き方を決定づけていきます。

若いうちはみずみずしい生命力が生活にあふれ、生き方、考え方が柔軟です。
しかし、同じ体験や行動、思考を何度も繰り返すうちに心に習慣性が生じます。そして年齢とともにその生き方が固定化され、柔軟性をもった思考からだんだん遠ざかっていきます。
目覚めの働き(自分を深く見つめる)に取り組まないで年老いた人は、頑固で幅広いものの見方が出来ない窮屈な人格になってしまいます。自分の人生から来る見識に固着し、それを人に押し付けようとします。
私たちの人生にとってとても大切なのが、常に自分を進化へと導いていく生き方をすることなのです。一生を通じて「人生とはこんなもんだ」という程度にしか生きることが出来なかったとしたら、それはとても不幸です。奥にひそむ壮大な働き、法則、神秘さに触れてこその人生であり、生きる価値だと思うのです。
習慣的で自己防衛的な生き方を変えなければ、惰性の罠にはまります。
みずみずしいパワーのある生き方
を取り戻すのに必要なのは愛する人の存在です。愛する人との葛藤は自己の習慣的な思考を変えさせる力を持っています。二人の間で問題を解決しようと心を働かせたとき、いきいきとした知恵が色彩を放ちます。固定的な生き方、考え方が壊され、自分を深く見つめ、目覚めのチャンスとなります。
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世間一般では、親は立派なのに子供は出来の悪い子だと言われているケースがよくあります。その場合も、親が立派なのではなく、間違いなく親が悪いからと言えるのです。悪いという言い方より親の生き方、考え方に問題があるから子供が悪く現われていると言った方が適切です。
非行とは親への強い反抗だと言われています。非行だけではなく、親に対する不満や不信感、怒りが問題児としても現われます。
親と子は強い絆で結ばれていますから、心の底では深く関連し合っています。
親の生き方の全てがわが子に投影されていきます。夫婦が仲たがいをしていますと、子供は悲しみ、すさんだり荒れたりの影響が出ますでしょうし、父の性的な関心の歪みは、娘の性的傾向となって影を現します。
「私たちは間違っていない。正しく生きている」という家庭になぜ問題の子供が出るのでしょうか。
ある少年院でのインタビューで「親は私のことより、自分たちのメンツや世間体を優先させる」と言っていました。親は自分の生き方は間違っていないと思いこんでいるだけで、自分の生き方の歪みに気がついていないのです。
人は自分の生きてきた道や、自分が正しいと思う生き方の枠にとらわれると、ほんとうのところが見えなくなります。人生には様々な生き方があり、人生における結果は長い道のりの先でないと
わからないのです。今、不安で不確かな道であっても、その道を歩んできたからこその優れた人生だってあるんです。自分の正しいと思う枠の中でだけ子供を見、判断することは間違っています。
親への信頼感のない子供は自分自身に信頼感が持てず、たえず不安と混乱のなかで生きています。
本質的には子供が悪いのではなく、親の生き方考え方の歪みが子供に投影されているのです。
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人生は自分の持っている能力や才能なりを表現するから楽しいのですね。
花作りが好きな人は花を作ることに楽しみを感じますし、ピアノを習っている人はピアノを演奏することに楽しみを感じます。
さらに上達した人は大勢の人の前でピアノを演奏したくなります。
このように人生とは自分を表現するためにあります。人は自分を表現したいのです。表現することが楽しいのです。そして人は自分を表現できない時に苦しみを感じます。
人生の喜びを味わうためには、自分のやりたいことをどう表現していくかということが大切になってきます。自分の能力や才能をどう展開していくかが自分の悦びであり、学びとなります。
ただじっとしていては生きる悦びが出てきません。自分を表現するためには舞台が必要です。私たちの人生がその舞台なのです。
私たちは自分の人生にどれだけ表現したか、どれだけ優れた表現が出来たかで生き方の価値が決まると思います。そして大切なのは自分の表現だけではなしに、人の表現、生き方にどれだけ手助け出来たかでもあると思うのです。
人生の最も価値ある生き方は、自分が心の底から悦べる何かを表現し、展開し、目的を達成させることではないでしょうか。
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男性はある年代まで来ますと業績、家族のことなど一通りの落ち着いた生活を創り上げます。多くの男性はここでささやかな自己満足に陥りますが、内心では心からの充足感を感じてはいません。
自分の人生において、ただ生活のために、家族のためにという生き方だけでは、魂からの悦び、自分という存在感からの悦びは
湧いて来ないのです。本当の悦びは自分の使命感とも言える、自分の生きてきた存在価値を現すことにあるからです。

日常の習慣的な生き方に埋没していますと、なかなか自分を奮い立たせ新たな成長へむかっって行くのは大変難しいのです。そうした男性を奮い立たせ、あるいは自己満足に甘んじている自分の姿に愕然とさせる
力を持っているのが女性です。
ある映画のワンシーンですが、大学の研究室におさまって将来に何の不安もない中年の男性に「あなたが接するのはあなたより若く、力がなく、自分の思い通りになる人たちばかりじゃないの。あなたは、誰からも邪魔されないような人生をこしらえたのね」と愛する女性が詰め寄ったのです。この一言が彼を
変えました。
これは映画の台詞ですが、こうした女性の一言が男性に安住の壁を破らせ、その後の人生を開花させる例はあまたあるように思われます。私も六十歳過ぎの時にある女性から言われた「自分のことを客観的に見てごらんなさいよ」の一言が私を変えていくきっかけになりました。
女性には男性の成長に必要なものが
見えているのかも知れません。あるいは男性を奮い立たせる本能的な働きを秘めているのかも知れません。
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多くの人たちは、自分の人生において悩みや苦しみに翻弄され、あるいは新しいことをしようとする意欲や、生きいきとするような目標を失った生き方をしています。
時には自分を変えようと試みながらも「どうせ変わらないだろう」とネガティブで、だらだらとした
日常を送ったりします。そうした生き方は長い年月を経て心に消しがたい痕跡を残します。そしてこうした生き方は心の習慣性となり、年とともに確実に心からの悦びや意欲のない人間を創っていき、周りの人間関係をも汚染します。
仕事のために、生活のために一生懸命働いて、子育ても終り、将来の生活にも困らない人生をこしらえている人たちのことを考えてみましょう。社会的地位も得、まずまず安全な人生を築いたという自己満足は獲得したと言えるでしょう。
しかし、ほんとうにその人生でいいのでしょうか。
自分の夢は?自分の生きがいは?・・・自分で作りあげた壁の中で、ほんとうの生きる価値を忘れ去って、ただ退屈と不満の日々を生きていることになりませんか。
「定年になったら生き方を変えよう」、これは幻想です。逃げ言葉です。定年後、生き方を変えるつもりだった人が
生きがいを見つけ出せず、退屈と不満でまわりを汚染しています。
大切なのは「今」自分の生き方を見つめなおすことなのです。「自分の存在価値は何だろう」「自分の本当にやりたいことは何なんだろう」。
小さな一歩でも、小さな歩幅でも始め出さなければ何一つ変わりません。
いつか朝が来るのが待ちどおしい人生が訪れます。
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退屈と不満の人生を変える生き方について考えてみます。
人生が変わる時には概ね困難や危機が伴います。会社が倒産するとか、やったこともないような役割がまわってくるとか、そうした外部からの危機的な圧力が人生を方向転換する契機をつくりますし、そうでなくても既存の人生を変えるからには、
今までの習慣的な安易な生き方を壊さなければなりません。
未知の領域に向かおうとするのですから、かなりの勇気と決断が要ります。楽をしながら変わる人生はありません。下手をすれば失敗をし、取り返しがつかない状態になることだってあります。
人生の方向転換、それは困難や危機とチャンスが同居しています。
しかしこの困難や危機が方向転換を促し、それを達成させる力になります。
言えることは、自分が本当にやりたい良きことの目標や夢には、実現するための芽がすでに備わっていると言われています。自分の目標や生きがいを見つけ、生きいきとし創造性に富んだ人生を生きたいと思うならば、自分の中に眠って
いる勇気を目覚めさせ、「今」踏み出す決断が必要です。勇気と決断は自分の望む本来のあるべきところへ導いてくれます。
正しいこと、良きことのための自分本来の目標に向かって、ただただ夢中で生きていけば、陰極は必ず陽転します。そして困難や危機という問題は過ぎ去ってみれば一時的な現われであり、見せ掛けに過ぎないものだったと知ることになります。
これが人生を変える図式です。困難や危機に面して、勇気と決断を奮い立たせた人のみ人生の新しい領域を獲得します。