充実した生きがいのために

生 き 方 1


人生 生き方 学びの場

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最も価値あるものの一つ・恋愛
人生において最も価値あるものの一つは恋愛です。あの心のときめきと躍動感、せつなさ、何ものにも代えがたい人生の宝石です。
この恋愛の価値は純粋でなければ輝きが出ません。美しい心の躍動感ですから。 ところが今の時代の恋愛は、なんとなくうす汚く輝きを失っているように見えます。なぜでしょうか。これは恋愛をSEXと混同してしまって、好きになったからSEXは当然とでも思われている風潮が悪いのです。

いのちの深くからくる異性を慕う神聖なものを、物質的で刹那的な快楽主義の世界に引きづり下ろしています。恋愛と性欲とは違います。
恋愛は最も価値ある生き方の一つです。今の若者の多くがその価値を失っているのは、まことに気の毒に思えます。

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家庭に調和をもたらすもの
夜空にきらめく星々が秩序整然と一定の法則のもとに運行しているのには、何か見えざる力(法則)に統一されているからですね。もしこの星と星との間に統一された調和がなかったら、悲惨な衝突などが起きるでしょう。
私たちの人体を形造っている細胞も組織的に統一されているから、目となり、心臓となり人間というものに構成されているわけです。その人間がたくさん集まって、統一されて社会を作り、さらに国家を作りあげています。

このように秩序だったものはすべて何かの理念に統一されています。
家庭に調和をもたらすのも、それぞれの家族を統一する理念です。この家庭における理念とは家族愛です。それぞれの家族を結び合わせる力は、愛です。
この結び合わせる愛の力がなければ、家族はみなそれぞればらばらになり、ただの集合体に過ぎなくなります。家庭に調和をもたらし、生きがいを与えるもの、それはかけがえのない愛の力です。

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"好き" と "愛" の違い
自分の人生を大きく狂わせる生き方があります。それは好きと愛との違いに気がつかないで起こる悲劇です。
「私はあなたを愛しています」とは誰でも言いますが、その愛の中身が問題なのです。 愛と一口で言っても、何を愛と思っているのかがとても大切なのです。

「あなたを自分のものにしたい」という性的欲望が心の本質であっても、言葉に出すときは「あなたを愛してる」になります。 本当の愛とは単なる「好き」ではありません。「好き」という意味合いには、「あの薔薇の花がきれいだから家に持って帰って飾ろう」というような相手を自分の方へ取って来たいという衝動があります。
その「好き」を「あの人は私を愛してくれている」と誤解して誘惑にかかり、利己的な人のおもちゃにされたりの悲劇的な生き方になったりします。

ほんとうに愛するということは、「あの人のためなら自分のことを ほっといてでも尽くしたい」というような無我献身の心です。愛という言葉には、さまざまな思惑がかくされています。どんな愛なのかをよく見極めることがとても大切です。

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人はどこへ進むのか
私たち人はどんな生き方を求めて進んでいくのでしょうか。
人はこの地上に誕生してから今日までズーと進化してきました。気が遠くなるほど永い時間、人は本能(潜在意識)のみの生き方を経て、やがて言葉が生まれ、そして心(現意識)が潜在意識の上に浮かび上がってきたと言われています。

この永きに渡る本能による生活の結果、人は心が主体であるとは認められず、環境や肉体が主体であり、人はそれらに支配されると認識し、それが今日に至るまで人類意識に横たわってきたと言えないでしょうか。

しかし、近年数多くの自己啓発家たちが、より高次の意識の開発(瞑想など)により、心こそ 人の主体であり、心が展開してすべての現象が現われてくると唱えるようになってきました。
日本でも数多くの人たちが、病気を心でコントロールしたり、富を得るのに心の技法を用いたりと実践で証明しています。
私たち人はやがて心の真実を解明し、肉体や環境の変化に一苦一憂することのない、 心こそすべてとも言うべき人本来の自由な生き方に到達していくのではないでしょうか。

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欲望が主人公の生き方
私たちの生き方は大きく二つの生き方に分かれます。一つは理性(良心)にもとずく生き方があります。これは言うまでもなく自分が正しいと判断した生き方です。人は人生の大部分をこの判断で生きていきます。時には、自分では正しいと判断したつもりでも、結果的に間違っていたという場合もありますが、 それも自分にとっての学びとなり、おおかたはプラスの生き方です。

もう一つの生き方は自分の欲望を満たすための生き方です。電車内で老人に席を代わることなく座る行為など、こうした生き方は人生のいたる所に満ちています。前者の生き方は人生を健全で明るく幸せな方向へ導きますが、後者の生き方は間違いなく 知らず知らずのうちに人生に悪い結果をもたらします。
美味しいものでも節度のある食べ方ですと健康をもたらしますが、欲望のおもむくままに暴飲、暴食していますと体によくない結果を現します。

私たちが生きているこの世界には厳然として『原因結果の法則』が作用しています。欲望に引きずられた 生活は、その場で結果は出なくても、病気になったり、家庭が乱れたり、ストレスを抱えたりの苦しみと悩みの人生が展開してきます。私たちが生きる上でとても大切なのは、「何を選択するか」ということです。選択した結果は確実に自分が責任を負うことになります。

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自分が変わるとき
人生では時として自分の生き方を変えたいと思うときがあります。しかし思うように変えるのはなかなか難しいものです。特に飲酒癖、喫煙、浪費癖などを止めるのはかなり難しいと思われています。
こうした生活を変えるのが難しいのは、習慣性が出来ているからです。習慣性どころか依存症になっている場合もあります。 依存症を変えるには精神的なケアが必要となりますが、一般的な習慣性のついた生活や生き方は、継続する努力で変わります。

あがり症などでも「私はあがり症だ」と思う”心の習慣性”が、練習と体験の継続により「もう大丈夫だ」という思いに変わる時点へ来れば「あがり症ではない自分」に変わります。
「明るい自分に変えたい」という人だって、今の心が「私は暗い」という思いの習慣性になっているからで、この思いを「明るい表情になってきた」という心の変化点にまでもっていけば、自分を変えたことになるわけです。そのためにはいつも鏡を見て微笑むとか、笑いの練習を続ければいいのです。心で「出来ない」と決めるから変化点を迎えることが難しいのです。
笑顔の習慣性がついた時が「私も明るくなった」という自己実現の時で、それ以後は「明るい私」という新しい自分の心の習慣性が明るいあなたを持続させます。
生き方を変える、自分を変える、それは自分の心の習慣性の問題なのです。心が変われば現われも変わります。これを「心の強制力」とも言います。

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行きづまりの打開策
人生においてはいつも順調とはいかないものです。何かにつけても行きづまりというものは起こってきます。行きづまりというのは別の言い方で壁にぶつかるともいいますね。生き方の中で誰にも起こる現象ですが、この壁にぶつかった時が一つの変化点であり、これを乗り越えた人がまた一つ進歩していきます。

この行きづまりの原因とか、要因は自分の心の問題です。 心の働きが滞ったり、迷ったり、何かに引っかかったりしているのが行きづまりの状態です。
人生で大切なのはこの時ではないでしょうか。この壁をどう乗り越えるかという問題の中に人生の妙味というか、生き方の訓練というものが隠されているような気がします。

行きづまるのは、自分の心が内向きになっているから起こります。内向きの心は閉塞的ですから、発展とか 伸びるとかの働きが出てきません。
内向きの心とは、自分のことばかり考えている利己的な心や、何かに引っかかる心です。心は方向性を持つエネルギーですから、行きづまりを打開するには、外向きの心、つまり、親切な心や人のためになる方向へ働かせればいいのです。外向きの心は発展的、開放的ですから行きづまりを解く方向へ作用します。
自分のことばかり考えているとしょっちゅう行きづまります。

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自分を生かすコツ
永六輔さんの「職人」という本に、次のようなことが書いてあります。
『多治見のこの山荘へ来る途中に、永保寺というお寺があるんですよ。そこのお寺に池がありまして、このあいだ、その池にかかっている木の橋が国宝になったんです。 国宝になった途端に、国宝だからって通行止めにしたんです。そうしたら、すぐに傷みはじめちゃった。そこに昔の職人が来て、「木の橋は渡ってなきゃダメです。橋は人が常に渡っているから締まってくるのであって、渡らなくなった橋はもろくなりますよ」 って言ったんですって。今度は一生懸命、「渡ってください。渡ってください」(笑)。だから、これも、使い込んで丈夫になるものの一つです。』

家だってそうですね。車も大切なものだから乗らないでおこうと置いたままにしてたらすぐに傷んできます。
人間の身体も同じですね。使うから丈夫で健康でいられます。私たちの能力だってそうです。使わない能力はどんどん衰えますが、逆に使えば使うほど能力は生きてきます。
人生を上手に生きるコツは、このあたりにもありそうです。土いじりにしても、読書にしても、好きなことを少しずつでも やり続けることが、自分の能力を伸ばし生かすことであり、自分という道具を衰えさせない道といえます。
自分の能力を惜しみなく使う、これこそ生き方上手の人と言えるのでしょう。

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困難をもたらす生き方
私たちは誰でもしばしば困難に直面します。目先の困難もあれば、長期に渡る困難を生きていく場合もあります。
一体何が困難をもたらすのでしょうか。
困難をもたらす要因の一つに、確かに言えることがあります。 それは心の弱さです。やっかいなことから逃げる生き方が、困難を引き寄せます

人と人が関わりをもち、必要不可欠な交流が生じます。そのとき心地よい交流だけなら何の問題もないのですが、気乗りのしないつき合いであったり、 やっかいなつき合いである場合、なにごとかの理由をつけて、果たすべき義務を果たさず逃げることがあります。私たちはそのことはその場で終わったと考え勝ちですが、実はこれが後々に別の形をした困難となって現れます。
これが見えざる人生のしくみです。
よく宗教家は先祖供養の大切さを説きますが、これは先祖にかぎらずいのちの縦のつながり、横のつながりの交流を大切にすることを言っているものと理解すべきでしょう。

つき合いに関わらず行うべき義務のある行いから逃げると、それはやがて別の形となって困難をもたらします。これが困難のひとつの正体です。
イギリスの思想家ジェームス・アレンはよけいな苦悩、困難を背負うのは、弱さのサインであり、私たちを失敗や不幸へと 導き続けると言っています。

私たちが逃げる弱さを克服したとき、今までにない新しい環境に 生きている自分を見出すでしょう。

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10この世の中は表現の世界
私たちは何のために生まれてきたのでしょうか?
むずかしい問いですね。私はこう考えます。人はこの世の中に表現をするために生まれてきたんじゃないかと。
まだ30代のはじめの頃、延々と続く壮大なドラマの夢を見て、眼がさめた時「あゝ人生はドラマなんだ」と痛切に思ったことがありますが、 人はひとりひとり自分が主役の自作自演のドラマを演じて生きているんじゃないかなという気がします。
自分が意識しているいないに関わらず自分が人生を創りだして、あるいは選択して「今」の状況を生きている。そう思います。
この時代に生まれ、この環境を与えられ自分の生き様を表現していく。悪しきにも表現でき、見事な出来栄えにも表現できる、そうしたカラクリのなかに私たちは生きていると言えるんじゃないでしょうか。

映画も表現、絵画も表現、写真も表現。そうした表現されたものには、光と影がありますね。自然界も光と影の世界ですね。
表現の世界は光と影でなりたっている。人生も表現の世界だから、光と影で創られていく。光だけでも表現できないし、影だけでも表現出来ませんね。
光が善や幸せや美しさを表すなら、不幸や悪や醜さは影としてとらえるとわかりやすいですね。
つまり人生は善や幸せや美しさだけでは表現できないということになります。また、もし人生が光だけだったら、それが光であることにも気がつきません。影があるから光を知ることができますね。
人生で幸せだけの人は、それが幸せであることすらわからないでしょう。幸せの実感は不幸の実感があってはじめて感じられるものだと思いませんか。
善の行いに心が歓ぶのも、悪の行為に嫌悪する心があるからですね。美しさも同じですね。

光のよろこびをより多く感じるには、影を強く体験してみる必要があるように、人生のよろこびを深く知るには、人生の影の部分にも深くかかわりを持つ必要があると考えませんか。
そう考えますと、真のよろこび、真の充実感を得た人は、そこそこの幸せな人生を過ごした人よりは多分、深い苦しみ、悲しみの底を体験し、その底の奥から光をみた人であろうと私は想像します
人生の表現にはよろこびであれ、悲しみや困難であれ深遠な意味が隠されている、そう思います。 

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