
私たちは知らず々に人生に損をもたらしていることを知る必要があります。
自分の人生に得をもたらしてくれるのは、もちろん自分自身が情報をキャッチすることも多々ありますが、多くの場合他の人からもたらされます。
「これはいい話だからあの人にも教えてあげよう」とか「私たち都合が悪くなったから、この券をあなたにあげるわ」といった具合です。
そうした目に見える話だけではなく、なんとなくいただいた情報が後から大変役に立ったとかということもありますでしょう。
こうした得する情報はよき人間関係によってもたらされます。
私たちはまた自分の人生にこうしたよき情報をもたらさない状況も創っています。
自分の人生に良きものが入って来ない最大の要因は、「拒否する心」です。この「拒否する心」が自分の人生に大きな
阻害をもたらすのですが、これが目に見えないだけにやっかいです。それによって自分が損な生き方をしているという自覚はありません。この「拒否する心」の正体は「傲慢さ」や「私が」という "我の張った心" あるいは "変なプライド" などの「謙虚さ」を失った心です。
人は謙虚さを持ち合わせている人には心を開いて何でも話せますが、謙虚さの無い人には心を通い合わせません。また例え話をしたにしても、心に「私が」という思いあがりがあると、心で相手の話を軽く見たり、拒否していますので話の印象が残りません。
これが自分の人生に知らず々に損をもたらしているメカニズムです。その時の相手の人がたいした能力もないようでも、後にどれだけ役に立つ知識を身につけているとも限りません。自分の人生に得をもたらすのは、自分の知恵ではわかり得ないのです。
「謙虚さ」は徳をもたらし、「私が」という "我の張った心" は損をもたらします。
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人は自分が思いめぐらしている思いにふさわしい人生を生きると言われています。濁った汚き思いはそれにふさわしい痛みのつきまとう人生を、清らかな気高き思いを常にめぐらしている人は、
悦びの人生を自分のものとすることが出来るわけです。
人生と言いますと長い時間に渡って起こってくるさまざまな出来事でもありますが、今自分の身のまわりや自分を取り巻く環境、そして
自分の健康問題などもすべて人生です。ですから今までの自分の思いが、今の目の前の問題や肉体への現れなどを現していると言える訳です。

自分の環境として現われている
現象を写真に例えるとわかりやすいかもしれません。多くの人は、自分の欠点やくだらなさを情けなく思い(私もそうですが)、よく失敗をしたり、人に迷惑をかけたりの不完全な人生を生きています。
それはそんなに変わりようのない人生と受け止めていますが、実のところはそれは自分の心のピントに合わせて映し出されている人生であるのです。
写真もピントをずらしますと鮮明な画像は出てきません。
それと同じで自分の環境や現われが苦しくつらいものであるのは、心のピントが正しいところに合わされていないからと言えるのです。それがわかってきますと、病気も自分の心を変えることによって、
よく治すことも自分の体験でもって知るようになります。
やがて病気に限らず自分の心を変えることで環境も変わっていくということも体験で知る時がきます。
自分の思いめぐらしている思いを正しいところに修正していく努力こそ、何よりも大切ではないでしょうか。いろいろ思いわずらうことを止めて、自分の正しいと思う姿を思い描くことが、心の正しい焦点です。
自分が常日頃思いめぐらしている人生観、
まさにその人生観が、その人の人生を呼び寄せていると言えます。
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私たちは人生を悦び、進歩し向上するために生きているのですが、そのために大切なのが理解力と直観力です。
人生においてさまざまな悩みや苦悩そして困難に出会うのですが、それらをすみやかに解決し、そしてそれらの問題を自分の人生の糧にしていくのに、
様々な問題の奥に横たわる原因や教訓を学び取らねばなりませ。それにはこの理解力と直観力がとても大きな働きをします。

ある問題が起こったとき、その問題の解決のためのアドバイスをお話するのですが、その人の欠点なり問題点なりを直接表現することは
なかなか出来ません。言われた人を傷つけ怒らす結果になりかねないからです。そこでたいていのアドバイスは遠まわしに理解できるように話します。また直接答えを言われるより、当事者が気づくことが大切でもあるからです。こうした時に理解力と直感力の差がでます。
問題の本質をつかまないと、いつまでもずるずる苦悩と陰湿を引きずることになります。
毎日の生活をただ惰性で、生活範囲の中だけのことで過ごしていますと、理解力も直観力も養われません。理解力、直観力は人の心の内深くから出るものです。本を読むことは、
そうした能力を養うのには一番です。カルチャー教室などへ通って専門的な話などを聞くのも自分の能力を引き出してくれます。大切なのは、進歩し向上したいという思いです。
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人生にはまさにさまざまなことが起こってきます。そして人は次から次と起こってくる出来事に対処しながら生きていきます。人生に起こってくる出来事は大きく別けて二つの流れがあるように思われます。一つは原因結果の法則に基づく流れと、あと一つは進歩向上の方向に沿った流れがあると考えられます。
進歩向上の流れとは、深くは魂の進歩であり、日常的には人格の進歩発展でしょう。私たちはこの進歩発展という視点から、人生の起こり来る出来事を見てみる必要があります。

私たちの人生上に起こってくる出来事の多くは、原因結果の法則に基づき、自分の生き方や想念に従って "良い果" 、"悪い果"などの出来事をもたらしますが、時には、原因結果の作用とは違う思いもよらぬ出来事が起こってくることがあります。
例えば、かなりのあがり症なのに思わぬ流れで卒業式の謝辞をすることになった人がいらっしゃいます。こうした出来事はその人の内部知性の働き(導き)と思われます。
こうした内部知性の導きは、困難の形をもって現われてくるような気がします。それは自分の生命の本体ともいうべき心深くの理性が、進歩発展への導きとして困難を創りだしているからではないでしょうか。そして与えられた困難を乗り切った時、
その人は一段高きところへ成長していきます。こう考えると人生のカラクリが幾分見えてきます。
自分の内部知性の働きですから、自分に出来ないことは起こってきません。自分に起こってくる出来事は、全て自分にとって可能なことだけです。
こうした困難が起こってきたとき、「こんなことやりたくない。逃げ出したい」と否定的にならないで、自分につきつけられた課題であると肯定的に受け止めると必ず道が開けます。人はこうした体験を経ながら進歩し発展していくものではないでしょうか。
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私たちの人生には三つの作用が働いているように思えます。そしてこれらは大きく人生を支配しています。
1.
共存の法則 私たちは個で生きているわけではなく、人類という枠の中で生きています。ですから人類共存の法則ともいうべき見えざる法則にしばられていると考えられます。
この法則は人類が共存していくのに適さない行為や思考を排除する方向で働き、共存に適う生き方には快適性を感じるように働くのではないでしょうか。
この共存のルールにもっとも反するのは、身勝手な行為です。ですから身勝手な行為の結果は、快適さからかけ離れた苦悩と不調和な人生を過ごすことになります。
2.
原因結果の法則 これは仏教では「業の法則」と呼ばれています。与える者は与えられ、奪う者は奪われるという作用・反作用の法則です。善い種を蒔いた者は善果を得、悪い種を蒔いた者は悪果を得るという働きです。日本には昔から「積善の家には余慶あり」という諺があるくらいですから、人びとは無意識的にも
この法則を理解していたと言えます。
人に限らず自然界にもこの法則が作用していると言われています。自然環境を痛め、破壊した結果、今自然から大きなしっぺ返しが来ています。
3.
創造の法則
私たちの人生に現われている世界は、その内部にある精神的原型が外部に表現されたものである。(R・Eデーヴィス)
ほとんどの人は、外部である環境や肉体が主体であり、それらは自分の意識では支配できないと思っていますが、真実は心がすべてであり、一切は心より生ずるという法則です。
ここで言う心とは、現在意識のみではなく人の奥深くにまで行きわたっている内部知性までもを指します。心に富を持つ者が、その人生上に真の豊かな生活を現すのであり、心に歪みを持つ者が、肉体や環境に不具合を現すという法則です。
この三つの法則が人生を支配している心の法則です。ということは、私たちは早くからこのことを学び、心の用い方を訓練し練習していけば自分の人生をもっとより快適に創造できるということになります。